北千住駅(中千住・西千住・千住駅)
今 昔 物 語

<2007年制作>

昭和28年頃 大雪の北千住駅構内

北千住駅は明治29年(1896年)12月25日に日本鉄道土浦線田端ー土浦開業に合わせて誕生しました。
当時の首都圏の鉄道は私鉄の日本鉄道が主力となって路線網を建設していました。1894年日清戦争の勃
発は国力の充実のため常磐炭田の石炭を首都圏へ直接運ぶ鉄道が必要とされました。それが北千住駅誕
生につながる常磐線が着工されきっかけとなったとのです。東京府内には田端ー南千住ー北千住の三駅が
当初設けられました。北千住の次は松戸でした。これと同時に隅田川貨物駅が開業し東京北部の鉄道貨物
の一大ターミナルを構成しました。明治34年には海岸線と改称され、さらに旅客運輸の便のため三河島上野
間の旅客線が明治38年(1905年)建設されました。その結果田端ー隅田川間は貨物専用の隅田川線とな
りました。そのため常磐線の基点も東北線から分離して日暮里に移りました。
明治32年(1899年)8月27日東武鉄道が開業しました。北千住を基点とし久喜までが最初の区間でした。
その後北は明治43年(1910年)に伊勢崎まで昭和4年(1929年)に日光までの幹線が全線開通しました。
南は明治35年(1902年)に業平橋駅(当時は浅草駅と呼んでいた)まで、昭和6年(1931年)に浅草雷門
駅(現在の浅草駅)松屋デパートの中に開業しました。
日本鉄道は明治39年(1906年)11月1日を以って国有化され名称も明治42年(1909年)10月に常磐線
となりました。鉄道院が管轄だったことから院線と呼ばれました。大正9年(1920年)には鉄道省となり、この
ときから省線と呼ばれました。昭和11年(1936年)常磐線は電化され待望の電車が走り始めました。これが
省線電車です。電化区間は昭和24年(1949年)、取手迄伸び電車区間となりました。また鉄道省は公社化
され日本国有鉄道となり国鉄、国電と呼び名が変わりました。とはいうものの私の子どもの頃大人達は省線と
呼んでいました。省線でなくなってから10年近くたってようやく国電という名前が一般化したと記憶しています。
国鉄は昭和62年(1987年)民営化されてJR東日本に変わるまで38年間続きました。

昭和30年代の北千住西口
北千住駅は田んぼの続いていた字東耕地(現千住旭町)千住宿の東の郊外に作られました。
西側に日本鉄道の広い敷地があり東側に東武鉄道のやや狭い敷地が取られました。
東武鉄道はそれを補うために東南に大きな敷地を確保しその根拠地を作りました。これが後の中千住駅です。
北千住駅は、私が子どもの頃の記憶をたどると西口駅舎を入ると改札がありそこから東口に向かって地下道
が伸びていました。現在の自由通路・南北通路がありますが当時の通路を利用改装して現在に至っていると
記憶しています。コンクリートの地下道からはホームへ上がる階段が2つあり1つが常磐線のホームもう1つが
東武線のホームに上がれるようになっていました。また貨物エレベーターの扉もありました。当時は都心のデ
パートにでも行かない限りエレベータには乗れなかったので乗りたいとあこがれたものでした。貨物用のエレ
ベータでしたから一般人が乗れるわけはありませんでしたが・・・。
常磐線は、1番線が松戸方面、2番線が上野方面の島式ホームでしたが、その外側にそれぞれ優等列車の
追い抜き線がその外側を走っていました。そして東武側に向かって4〜5本の貨物線がありました。貨物船の
先が東武の本線となり島式ホームで3番線が西新井方面4番線が浅草方面となっていました。西口駅舎の南
側には荷物ホームがありました。ここではチッキの荷物を受け付けていました。
大踏切を南に越した追い越し線から分岐して行ったのが足立市場線でした。この線は足立市場のホームに入
っていました。この線は最近まで廃線跡公園(やっちゃば緑道)となっていましたがつくばエクスプレスを開通さ
せるために常磐線が移動してしまいました。
昭和28年撮影 荒川橋梁をわたる「省線」と今は姿を消した「SL]

昭和37年(1962年)に地下鉄日比谷線の開通に合わせて橋上駅となりました。東武線は3番が東武線西
新井方面、4番線日比谷線からの電車、5番線日比谷線上野方面、6番線東武線浅草方面となり大踏切側
に7番線下り用、8番線上り用(北千住駅で優等列車の待避線)も作られました。地下通路は閉鎖となりかつ
ての荷物駅舎のところに日本食堂ができました。日比谷線は廃止された都電21系統の代替でした。日比谷
線は大踏み切りを高架で越えた後地平にあるホームまで急角度で下ってくるところが現在と違うところです。

鉄道省の時代は東武鉄道は自由に北千住駅を使うことができなかったため鉄道省管理の北千住駅から外
れて自由に使える駅が欲しくかったため、荒川放水路の工事による路線の付け替えにあわせて中千住駅を
開業しました大正13年(1924年)10月のことです。この時小菅、五反野、梅島の各駅も開業しました。中千
住駅は大踏切のすぐ南側2両編成の電車が止まれる大谷石のホームが廃止された昭和28年(1953年)以
後もしばらく残っていました。その後もしばらく信号所として使われた後、昭和37年(1962年)廃止されまし
た。昭和10年(1935年)11月1日、中千住〜千住間0.6km開通、隅田川の堤防付近・千住ドックまで延びて
いた貨物線です。昭和19年(1944年)6月からは、都心方面から隅田川を遡上してきたオアイ船からウンコ
を千住駅で貨車に積み替えて武里駅・大沢駅・杉戸駅など埼玉方面に肥料として運ぶウンコ列車のため糞尿
輸送を開始しました。これは昭和30年(1955年)3月まで続きました。千住貨物駅(千住貨物線)は、昭和62
年(1987年)5月1日廃止となりました。
国土地理院の航空写真(1947年)より
左上に北千住駅、その下国鉄と東武の分かれるあたりに大踏切が見える。
大踏切の下に中千住駅が確認でき、その下千住貨物線を分岐し隅田川の千住貨物駅も見える。

大踏切から見た中千住駅跡。
昭和44年(1969年)、営団千代田線北千住ー大手町間が開業しました。この年、北千住貨物駅荷物駅は廃
止されました。昭和46年(1971年)には綾瀬まで路線が延び、綾瀬駅は全面的に作り変えられ常磐線の緩
行列車のすべてが千代田線に乗り入れとなりました。こうして北千住駅は4線乗り入れ駅となり都内屈指のタ
ーミナルとなりました。昭和56年(1981年)には東武連絡の貨物扱いが廃止され北千住駅はて完全な旅客
駅として整備されることになりました。

昭和60年(1985年)3月27日、橋上駅は廃止され駅ビル「ウィズ」が建設され開業しました。今日のルミネ北
千住店です。東口も東武鉄道への地下鉄半蔵門線乗り入れの関係で日比谷線ホームを3階へ上げる改良工
事が行われました。半蔵門線の乗り入れは平成15年3月から開始され、はるか神奈川県の中央林間行きの
電車を見ることができます。平成16年2月には駅前再開発も終わりルミネの隣に丸井が開店し駅前広場には
デッキがかけられました。さらに新しい北千住は平成17年秋のつくばエクスプレスの開通でまた大きく変わる
でしょう。そのときは、JR常磐線、東武線、東京メトロ日比谷線、同千代田線、同半蔵門線、そしてつくばエク
スプレスと6線も乗り入れする巨大ターミナルになります。
まもなく動き出すつくばエクスプレス

<番外編・・・西千住駅>
実はこの駅については全く知りませんでした。アマチュア無線のBBSで中千住駅が話題になりどこにあったと
か何のためにできたのかなぜ無くなったのかというような話題をしているときに西千住駅があったらしいという
話からHPで調べて、始めてその存在を知ったというのが実情だったのです。中千住の駅の場合は自分自身
は覚えていなかったが親父から話を聞かされていたのと大違いでした。
さて、西千住駅ですが現在の緑町交番のあるところには踏切があります。その踏切から千住大橋駅側に駅が
ありました。その踏切から周りの風景を見ると踏切に向かって放射状に道ができています。つまり、駅前ロータ
リーに集まってきているのがわかます。さらに、踏切から千住大橋駅側を観察すると線路際の柵が何となく不
自然に広がってていて保線の用具などが置かれているのが駅の名残でしょうか。取材中、この近所の人に話
を聞いたところ駅の場所は、そこで間違いないと言うことでした。西千住駅は足立「ちれきみん」のHPや京成
の資料で確認すると、京成電鉄が当初押上・成田間で営業したものの日暮里・上野延伸を願い、日暮里・上野
公園間のトンネルを掘る際に出た土砂を埋める場所としてこの付近の湿地帯が選ばれ、その後京成電鉄が
内でも、目新しい区画整理された分譲住宅地として売り出された時に
駅が設置されました。手前の町屋駅や千
住大橋駅の付近の下町風の込み入った町並みとは違う雰囲気の町並みが、かつて京成電鉄が夢見た計画
都市の名残でしょう。しかし、戦争という時代の流れに阻まれ他の電鉄の計画都市のような発展には至らなか
ったのも実情のようです。昭和10年(1935年)6月の開設、昭和22年(1947年)2月28日廃止されているが、それ
以前の第二次世界大戦末期の駅の統廃合で休止されたとも戦争中に駅舎が爆撃その他で壊れ休止になった
ものの復活できなかったとの2つの説があるがどちらだかまだ調べ切れていません。

1947年国土地理院航空写真から
京成線・分譲地売り出し
電車の写っているあたりが西千住駅跡
写真は(絵で見る年表・足立風土記)より・・・西千住駅ができるきっかけとなった分譲売り出し

ふるさと足立区へ

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